後藤静香先生の言葉です「希望が持てる」

後藤静香先生の
素晴らしい言葉を紹介するブログ記事

着物を通して素敵な思い出作りをお手伝いをモットーに
音楽・温泉・読書・SNS・スポーツ、そして人とのご縁が大好きな
布施弥七京染店・やしち屋の専務 布施 将英(@fuseyashichi)です。

今日もパワーに満ち溢れる
後藤静香先生の言葉です

希望が持てる

どこを見ても
この先どうなることかと
心配でたまらぬことがある
しかし よくみるとまだまだいくらでも
堪えぬける力がある
立派な文化を作り出せる力もある
日本人の本質を知れば知るほど希望がもてる

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#後藤静香 #宇宙の言葉 #後藤静香名言

後藤静香先生はこんな方です

東京高等師範学校数学専修科を卒業後、大分高等女学校、香川女子師範学校で女子教育に従事する。教員時代に中学入試の参考書「算術倶楽部」を出版、ベストセラーとなる。修養団に傾倒し、その支部活動に参加するようになる。

やがて1918年(大正7)年、自ら修養雑誌「希望」を出版するために希望社(社会運動団体)を設立し、「のぞみ」「光の声」「泉の花」「大道」等の雑誌を発行するようになる。これらの雑誌は、啓蒙的な内容で、格言や偉人伝、寓話などをわかりやすく解説したもので、男も女も修養して、よりよい人間、社会に有益な人間にならねばならないと説くものであった。

代表作というべき『権威』(詩集とも、格言集とでもいうべきもの)は、百万部を発行したといい、青少年だけでなく、全国の教育者や労働者にも愛読された。

後藤は熱狂的な読者たちに支えられ、「希望社運動」と呼ばれる様々な社会活動を行った。その一例として「点字の普及」「ハンセン病患者救済」「エスペラント運動」「老人福祉」「アイヌ救済」「現代仮名遣いの普及」などがある。

やがて彼の元には全国から熱心な信奉者が訪れるようになるが、希望社の組織が大きくなり、事業が拡大されるにつれ、資金繰りに困るようになった。また青少年に勤労奉仕を行わせていたこともあり、社会的な批判も高まった。そんな最中に、後藤はスキャンダルに巻き込まれる。狂信的な一女性読者が後藤の女性関係について新聞社にリークしたものであったが、それにより資金繰りはさらに悪化。神のように慕われていた後藤だけに、そのダメージは大きかった。さらに追い打ちをかけるように読者に詐欺罪で訴えられ、希望社と後藤の名は失墜する。[1][2][3][4]

昭和8年、希望社は解散。後藤はその後も「心の家」を主宰して、その生涯を社会教育に捧げた。

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投稿者について

名物専務
山形で江戸時代から続く着物専門店の名物専務こと布施 将英。
着物初心者や、着物を着てみたいけど一歩踏みでない方を後押しできるようなブログを書いています。
趣味である音楽やDJは、1stアルバム好みの音故知新スタイル。また得意な筆ペンで書く「らくがきハガキ」は2011年より毎日投函継続中で、手書きチラシも仕事として制作を請け負っています。
着物の動画も多数放出中で、山形の着物屋さんで最も有名なyoutuber着物屋さん。着物初心者に向け他ものや、着物のお手入れについて、着物の HOW TO動画を多数あげていますので、「布施弥七京染店 動画」で検索してみてください。
読書は、ビジネス書や偉人伝の他、司馬遼太郎先生フリーク。音楽同様に温故知新の1st好き。一番好きな司馬遼太郎先生の作品は「梟の城」。全般的に「心へ静かに日を灯す」司馬遼太郎先生の文章が好きです。
他にも温泉・スポーツ観戦・ゴルフ・お笑い・山形のラーメン・ハイキューに造詣が深い昭和47年生れで、布施弥七京染店のスポークスマンとして県内外にて活躍。Facebook・Instagram・Twitterも随時発信中で、お客様の美姿と健康と思い出作りをお手伝いします。

2件のコメント

  1. 「希望社 歓喜」をネットで検索してこちらにたどり着きました。
    ひょんなことから私の祖父が16歳の高校生の頃-当時は旧制中学-(1919年)の日記を手に入れ読み進めるうちに当時「歓喜」を熱心に定期購読し読んでいた記述がありました。
    「歓喜」がどのような雑誌であったのかはよくわかりませんが祖父の精神的基礎、土台になったような雑誌だったようです。それほど「歓喜」を愛読していたようです。
    昭和の初めに後藤氏が失墜していったことをどう受け止めていたのか今は知るすべもありませんが、これを機に歓喜や当時の世相を調べてみようと思います。では失礼いたします。

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