実は私、司馬遼太郎先生が好きな着物屋です。

実は私、司馬遼太郎先生が好きな着物屋です。

私は布施弥七京染店の布施 将英。
数々の趣味・好きな事がありますが、読書も趣味の一つ。なかでも「司馬遼太郎先生が大好き」で、活字嫌いの私でも初めて読み切る事ができた小説を書いた先生。また2000年に入院した際の病床にて、竜馬がいく・坂の上の雲から数々のチカラある言葉をもらい、司馬遼太郎先生の世界を尊敬する私です。

司馬遼太郎先生こ言葉から、大きなパワーをもらうのです。


司馬遼太郎先生は、日本を代表する歴史小説作家です。日本国民が読んだであろう歴史小説の中で、最も長編なのに最も読まれたであろう「竜馬がゆく」であると思います。その中からのパンチライン。

数多い竜馬がゆくの中のパンチラインがありますが、この言葉も非常に有名なパンチラインです。50歳近くなると、今までのような体力的なパワーから別の仕事の座標に変わるべきポイントになる時があります。そんな時、思うように力が出ない時、この司馬遼太郎先生の言葉を思い返すわけです。

どうしても、前のように体力的に頑張れなくなるし、集中できる時間でさえ短くなっていくんです。歳をとるってこういうことなんだなぁと実感していくわけですが、こんな時こそ司馬遼太郎先生の言葉にパワーをもらって精進するわけです。

司馬先生が着物を着ていたら。


先生は歴史フリーク。正しい歴史を調べつくして、そこから抽出した数少ない濾過液を文字にするような方でした。そしてその歴史上の人物の生業や性格に合わせて、人の心を太くするような文字を世に送り出してきました。わたしもその言葉にチカラつけられた人間です。

司馬先生の時代小説において、登場人物はこういう綿織物の着物を着ていた時代。これは山形で作られた綿織物ですが、きっと登場人物たちもこんな着物を着ていたんだろうなぁって思ったりするわけです。

これは山形県山形市の隣にある「山辺町」という場所で作られている綿織物。地域には今まで色んな織物文化があったのですが、明治時代以降の洋風文化の流入によって、もともとあった農耕文化や和服という文化がどんどん減っていき、自分のウチで機織りするという文化も根絶やしになりました。

そもそも農家の冬仕事で、刺し子や機織りがあったのですが、もはやそれは昔の話。地域の特色や特徴ある織物も、どこにだってあった話ですが、今は際立った産地の商品だけが残っている時代。そんな中にあって、山形の綿織物が未だに存在する事に、誇らしささえ覚える次第です。

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布施弥七京染店
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投稿者について

名物専務
山形で江戸時代から続く着物専門店の名物専務こと布施 将英。
着物初心者や、着物を着てみたいけど一歩踏みでない方を後押しできるようなブログを書いています。
趣味である音楽やDJは、1stアルバム好みの音故知新スタイル。また得意な筆ペンで書く「らくがきハガキ」は2011年より毎日投函継続中で、手書きチラシも仕事として制作を請け負っています。
着物の動画も多数放出中で、山形の着物屋さんで最も有名なyoutuber着物屋さん。着物初心者に向け他ものや、着物のお手入れについて、着物の HOW TO動画を多数あげていますので、「布施弥七京染店 動画」で検索してみてください。
読書は、ビジネス書や偉人伝の他、司馬遼太郎先生フリーク。音楽同様に温故知新の1st好き。一番好きな司馬遼太郎先生の作品は「梟の城」。全般的に「心へ静かに日を灯す」司馬遼太郎先生の文章が好きです。
他にも温泉・スポーツ観戦・ゴルフ・お笑い・山形のラーメン・ハイキューに造詣が深い昭和47年生れで、布施弥七京染店のスポークスマンとして県内外にて活躍。Facebook・Instagram・Twitterも随時発信中で、お客様の美姿と健康と思い出作りをお手伝いします。

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