実は私、司馬遼太郎先生が好きな着物屋

実は私、司馬遼太郎先生が好きな着物屋です。

私は布施弥七京染店の布施 将英。
数々の趣味・好きな事がありますが、読書も趣味の一つ。なかでも「司馬遼太郎先生が大好き」で、活字嫌いの私でも初めて読み切る事ができた小説を書いた先生。また2000年に入院した際の病床にて、竜馬がいく・坂の上の雲から数々のチカラある言葉をもらい、司馬遼太郎先生の世界を尊敬する私です。

歴史好きじゃない僕が、司馬遼太郎先生を好きになったわけ。


司馬遼太郎先生は、日本を代表する歴史小説作家です。

司馬 遼󠄁太郎(しば りょうたろう、1923年大正12年)8月7日 – 1996年平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。

産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。

活字が好きじゃなくただ音楽好きの大学生が、唯一読み切った歴史小説がこの司馬遼太郎先生の処女作。私自身音楽をやっていて、とにかくそのグループのファーストアルバムが好きだったのですが、奇しくも私が初めて読み切ったのが、司馬先生のファーストとは運命を感じました。

その司馬先生に心酔したのは、2000年の入院時。病床にあって心の矢印が下を向いていた時に「竜馬がいく」で、力のある言葉を多数もらい復活を強く目指した時からです。僕は歴史が好きなわけでもなく、幕末フリークなわけでもなく、戦国時代が好きなわけでもなく。結果としては、司馬先生の言葉が好きだったのです。とても大きな力をもらいました。だから、司馬遼太郎先生が大好きなんです。

司馬先生が着物を着ていたら。


先生は歴史フリーク。正しい歴史を調べつくして、そこから抽出した数少ない濾過液を文字にするような方でした。そしてその歴史上の人物の生業や性格に合わせて、人の心を太くするような文字を世に送り出してきました。わたしもその言葉にチカラつけられた人間です。もし今先生がご存命なら、この時代をどうお感じだっただろう。

今先生が元気だったら、こんな着物をお召しになって欲しかったなぁと思っています。ちょっと奇抜ながらだけど、かっこよく兵児帯でも結んでかっこよかっただろうなぁ〜〜これほどまでに着物の似合いそうな歴史小説作家はいないと思う。

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投稿者について

名物専務
山形で江戸時代から続く着物専門店の名物専務こと布施 将英。
http://mag.kimonokinenbi.com/2018/06/11/611/
主に着物初心者や、着物を着てみたいけど一歩踏みでない方を後押しできるようなブログを書いています。ブログは2008年からスタートしており、合計4000記事超えで毎日更新中。ココ2年ほどは、ようやくまともな着物屋さんのブログになってきました。
趣味である音楽やDJ・は、!stアルバム好みの音故知新スタイル。また得意な筆ペンで書く「らくがきハガキ」は2011年より毎日投函継続中で、手書きチラシも仕事として制作を請け負っています。また読書も好きで、ビジネス書や偉人伝の他、司馬遼太郎先生フリーク。音楽同様に温故知新の1st好き。一番好きな司馬遼太郎先生の作品は「梟の城」。全般的に「心へ静かに日を灯す」司馬遼太郎先生の文章が好きです。
他にも温泉・スポーツ観戦・ゴルフ・お笑い・山形のラーメン・ハイキューに造詣が深い昭和47年生れで、布施弥七京染店のスポークスマンとして県内外にて活躍。Facebook・Instagram・Twitter・Youtubeも随時発信中で、お客様の美姿と健康と思い出作りをお手伝いします。

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